人の一生

おじいちゃんが亡くなりました。
87でした。
製作所を独立開業した職人の祖父。
一緒に住んでいたようなもので、まだ信じられない。
昨日まで笑顔見せてくれて、手を振ってまたね!とかやっていたのにね。


バイト中に電話があり「危篤だ」という。
仕事中だったのだが帰らせてもらい、なんとか間に合った。


病室のドアを開けると家族が勢揃い。
なんかドラマみたいだな、と一瞬思った。
見ると、黄色い顔をしたおじいちゃんが目を閉じている。
ベッドの横には心電図みたいな機械があり、わたしが声をかけるとその波形が大きく揺れた。
「意識もあるし耳も聞こえてるんだ」
そう思ったけれど、たぶん、もうあと少しなんだなとそこにいたみんなも思っていたはず。

そこからは早かった。


心電図の波形が小さくなり、「ピー」っと一直線になる。
ああ、、、おじいちゃんが行ってしまう。
あの、元気な笑ったおじいちゃん。
手や足を触るとぜんぜんあったかい。おじいちゃんの体を触るなんてきっと、子供の時以来なんだろうなと思った。
でも、そこからどんどん冷たくなり、冷え症のわたしの手より冷たくなってしまった。
その冷たくなってゆく感覚は衝撃的で、
きっと忘れる事はないんだろう。


その後、お骨になるまでは本当に早い。
人がホロホロの骨になっちゃう。
ねぇ、これ、おじいちゃんだったんだよ。
お箸でツボに入れてゆく。これ、おじいちゃんか。そうかそうか。
もう何がなんだかよくわからないけれど。
たまにくるこの涙の波はなんだろう。


おじいちゃんにも若い時があり、友達や父母がいて
わたしたちと同じように人生に悩んだり悔しかったり悲しかったり
きっといろんな事があったんだろう。
葬儀にはたくさんの方が見えて、おじいちゃんの人生に触れられた気がして嬉しかった。


みんなのステージが一つあがる。
次は親世代。そのあとはわたしたち。
みんな繋がっている。
うまれてゆく赤ちゃんたちに命がつなげられていく。


幸せだったよね?きっと。
87まで生き抜いたじいちゃん。
おじいちゃんがいるからわたしがいます。
お疲れさま!そしてどうもありがとう。


わたしもうまく行けば50年後60年後にそっちに行くから。
またみんなでお正月みたいにテーブル囲んでおいしいもの食べようね。